名前はまだない。のブログ

ひねくれ者の自由帳

コロナ禍を乗り越えられていない自分

はじめまして。

今回は2020年に大学に入学してから、私がどんなことを考えて、四年間の大学生活を終えたのかを書いていく。主にタグに関連する悩み。

4月から社会人なので、一つの区切りという意味で、3月までに公開したいと思っていた。(思っていただけになってしまったが)


私が大学に入学したのは、2020年の4月で、私たちの学年はコロナ直撃世代と言える。
4月から5月の一ヶ月間は、コロナの影響で授業は受けられず、5月から学校が始まったと思ったら、次はオンライン。
家に籠って、パソコンに向かって授業を受ける日々が二年続いた。

やっと、大学に行けるようになったのが2022年の4月。私が大学三回生の時だった。コロナによって自由に行動することが出来ず、自分のやりたかったことが思うように出来なかった。コロナによって閉塞感を抱える日々を過ごしていた。このような経験は私以外の人もしているはず。

 

だが、私が疑問に思っているのは、世間は私たちのような人たちを一括りにして、コロナ禍を乗り越えた人々としているのではないかということである。


この間大学の卒業式に行ってきた。そこで私が所属していたゼミの先生が最後にありがたい話(先生が自分で言っていた)をしてくれた。

僕は君たちのことを、コロナ禍を一緒に試行錯誤しながら乗り越えてきた戦友だと思っている。的なことを。

嬉しくも思い、同時に疑問も感じた。

果たして私自身はコロナ禍を乗り越えられたのだろうか、と。

 

そんな風には思えていない。

ニュースなどで、「コロナ禍を乗り越えた」という言葉を見ると、私一人だけがコロナ禍の中に取り残され、私以外の全ての人がコロナ禍を乗り越えたかのように思えてしまう。

というのも、話は、卒業式から就活に戻る。

 

やっと大学に行けるようになった三回生の私たちの前にあったのは、就職活動だった。

就活のガイダンスへ行き、適性検査やインターンシップのことを考えろと言われる。当時の私は、目の前の現状に対して、気持ちがついていかなかった。
にも関わらず、周りを見ると普通に就職活動を行なっている。当たり前だろと思われるかもしれないが、私にとって大学生活最初の二年間はあってなかったようなものだったので、周りが当たり前のように就職活動を行っているのを見て、戸惑っていた。

皆は、私と同じように考えていないのだろうか。
こんなことを考えているのは私だけなのだろうか。
そんな風に思っていた。


コロナ全盛期(2020~2021)→コロナ落ち着く(2022~)≒就活(2022/三回生)

自分の感覚としてはこんな感じ。

切り替えが上手くできないまま、就活を進め、鬱屈とした感情を抱えたまま社会人になる。

 

大学に行けたことに関しては、本当に良かったと思っている。

自分が学びたい、面白いと思ったものと向き合えた時間だと思っている。
でも、心に穴が空いているように感じるのもまた事実なのだ。

 

ここまで、だらだらと書いてきたが、4月から私も社会人。こんなことを考えていようが、いまいが、社会に出れば皆等しい労働力である。なので、働かざるを得ないわけだ。

果たして、今もずっと胸に残っているモヤモヤしたものが無くなる日はくるのか。

私がコロナ禍を乗り越えられる日はくるのか。

「知らねえよ」と思われたらそれまでだが、そういう風に考えている人も世の中にはいる。

だが、こんな風に考えてしまう自分も変わっているとは思うが。